2007年8月30日木曜日

水道路(すいどうみち)の謎(1)

妹のお友達のブログで、藤沢にある横須賀水道路のことを
知りました。
今まで知らずに通っていた身近な生活道路に、こんな由来が
あったなんて、興味深い。

あそこを「水道路」と呼ぶ習慣があるのはなんとなく
知ってました。
でも、きょうにいたるまでその意味を深く考えたことは
なかったです。

1912年(明治45年)から、旧横須賀帝国海軍は、
艦隊の水不足を解消するため、
水源である神奈川県愛甲町から横須賀までの
延々53kmにも及ぶ長い海軍水道を、10年かけて
先駆けて敷設しました。
水道路(すいどうみち)の大半が、最短距離の直線です。
ナスカの地上絵のように、異様にまっすぐに北西から南東へ、
藤沢市内を斜めに横切っているのが
地図からわかるかと思います(青色に塗った道)。
suidoumiti2

関係者以外は入れない、いすゞ自動車の工場内の水道路。
いすずの道
まるで滑走路のような、整備された広くてまっすぐな道は
巨木なポプラ(?)並木になっている。
工場の門が開いてると、中をチラっと見渡せるのだが
北海道大学のポプラ並木(250m)もぶっ飛ぶ雄大さ。
軽く1kmはありそう。
帝国海軍と関係の深かったいすゞが、昭和36年この地に工場を開所するも
水道管の上に建物を建てるわけにもいかず、
このような景観になったと思われます。
常時工場内のお掃除バイトを募集してるので
一度は潜りこんでみたいもの。

 これらあまりにまっすぐな敷設ぶりを見るにつけ、
現在のような住民反対運動もなく、
当時憲兵の威圧する中で強制的に軍が土地を取り上げたことが伺われます。
 一方で、元々昔からあった真っ直ぐな道に沿って、
水道路を敷設したのではないかという考えもあるようです。(詳細)

 どちらにしろこのまっすぐな潔さは人の心を惹きつけます。
『鉄塔武蔵野線』ではありませんが、思わずどこまでも辿ってみたく
なる引力がある。場所によっては、海軍が目印として埋めた
80年前の標柱が、道の傍らに点々と置かれているのもかなりな魅力です。
 今回はこの青く塗った道で目にした、(といっても全行程の7割、
真ん中赤紫部分は、道路拡張工事のせいかほとんど
見当たりませんでした)水道路である証拠の標柱の
バリエーションを紹介します。
suidoumiti1

地図のURL



(つづく)

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