きょうの調査はちょっと飛んで、
湘南台駅近くの桐原の交差点から北上しました。
地図のURL
たまに清掃車がかっ飛ばしてくるくらいで
交通量が余り多くない道だったので期待したのですが、
古い横須賀境界石は見当たりませんでした。
藤沢市マークの物と、四角い金属の横須賀境界標は
いくつか埋まってました。
唯一残ってたのは、石川との境目の交差点角にあった
Yマークのみ。
後述地図のA地点。
この交差点の道を挟んで北側は石川で、
そこからいすゞ工場の塀までの間は、短いながら
面白い所でした。
地図を拡大したものを示します。
地図上の赤い×印は横須賀境界石のあった大体の場所です。
A地点から、車道を北西へ渡ると
『藤沢市北部環境事業所』となります。
入り口から敷地内をのぞいてみると、
植え込み奥に境界石が!
発見したときは嬉しかったです。
ここはゴミ処理施設なので、一般人も出入りできます。
それをいいことに、無断侵入して
シャッター押してきました。 (B地点)
横須 と 水道 の文字がありました。
(両サイドの面を並べた図)
次なるC地点は、
ちょうど事業所の塀とクロスしてました。
これは海軍石。
その次のD地点には石塀が途切れて
フェンスになった所の境目に埋まってました。
その次のE地点は歩道のど真ん中に
Yマークが埋まってました。
控えめに道のはじっこにお行儀良く
並んでるのが普通だったのでちょっと新鮮な感じ。
その先はいすゞ工場内になってしまい
フェンスに阻まれ確認できませんでした。
未練がましくフェンス越しに、いすゞ内の水道路を
撮ってみた図。
当初思っていた広いポプラ並木の方ではなく、
その道と平行に走っている細い直線道路の方で
いかにも古い境界石が残ってそうな素朴な道です。
2007年9月13日木曜日
水道路 藤沢市桐原町・石川(8)
2007年9月10日月曜日
境界石 四種(7)
水道路の境界石を求めて、いつも下を見て歩いていたら
なんでもない道でも似たものを見つけました。
現在境界標として、丸や四角で文字が入った
色々な金属片が道に埋め込まれていますが、
それらも昔は石やコンクリ製だったわけで、
その手の石たちをご紹介。
(以前書いた「神企水」もその一種なわけです。)
村岡公民館そばで見た「藤沢市」
上面部には藤沢市のマークがあったので
藤沢市水道局管轄の境界石だと思われます。
横須賀水道路に限らず、地元の水道路にも
同じように埋まってるものなんですね。
清流苑奥の道のどんづまりで見た神奈川県マーク。
横須賀水道路を歩いていたら
柏尾川で阻まれる一番隅にありました。
神奈川県企業庁水道局管轄の境界石かもしれません。
(追記 道との境目、道界を示す境界石のようです)
笛田の鉄塔下にあった「東電」
鉄塔が建ってる地所は、東京電力株式会社が
買い上げる場合と借りる場合があるようです。
昭和30年、東電100%出資で設立した、
東電不動産株式会社というところもあることを
今回知りました。
東電の境界石があるということは、
ここは買い取った土地なのでしょう。
税務署そばの電波塔近くにあった「電電公社マーク」
藤沢市マークに似てるのですが、今は亡き特殊法人、
日本電信電話公社の境界石。(現NTT)
探せばもっと色々みつかりそうで
きょうも下ばかり見て歩ってます。
水道路 鎌倉市笛田(6)
水道路 弥勒寺(南側)(5)
2007年9月8日土曜日
水道路 藤沢西富の奥(4)
『水道路 標柱その二』で、帝国海軍水道路(すいどうみち)に
点々と埋まっている標柱のことを書きました。
標柱、石柱、支柱等々色々呼び方はあるようですが
これからは 境界石 という名称でいきたいと思います。
前回、謎だった『神企水』。
水道路師匠のた~さんから、それは
神奈川県企業庁水道局 の略ですと教えていただきました。
藤沢の上下水道を管理してる所だそうです。
勉強になるなぁ。
た~さんからは更に、山の上を探してごらんとの
指示のもと藤ヶ丘の交差点そばで、
貴重な横須賀市ネーム入りのマンホールの蓋も発見。
空気弁です。
そして訂正です。
大鋸区間に境界石は無いようだと以前書きましたが
埋まってるのを一個だけみつけました。
探せば、大鋸区間にもさらにもっとあるかもしれません。
その後、西富の奥を調査しました。これは水道部。
裏も確認できて、裏には横須賀
そして、珍しいことに側面に
『12』という数字が彫られていました。
中々に色々埋まってて嬉しい地域。
急斜面に海軍マークとか
草葉の影から見守る水道部とか
塀の影からこっそりこちらを伺う海軍マークとか。
抜かれて山陰に打ち捨てられたものもあります。
これは、『神企水』のほうでした。
2007年8月30日木曜日
水道路 標柱その二(3)
さて、海軍水道路(すいどうみち)の続きです。
コレは水道部タイプ。うっすらと苔をまとい
石仏の風情さえあります。
コレは波線タイプ。海の字が地面に潜ってます。
てっぺんの赤いペンキが毒々しいです。
謎な標柱。『神企水』????
もしかしたら水道路とは無関係かもしれません。
そして。
今回探索した行程上、最南端にあったもの
御影石仕立ての立派なものです。
JR線を越える為の塀に阻まれた、行き止まりの地点に
建ってました。
それまで、建物のかげになっていたのか、
発見されたのはつい10年ほど前のようです。
(コチラに詳細)
最後に。
『風に吹かれて』HPにて
ツーリングを楽しんでらっしゃる方の、水道路レポートがあって
その中に、地面から抜いた標柱の写真が載ってました。
結構長いものなんですね。
そして『横須賀』の文字の下には『市』があるのがわかりました。
(転載許可、大変ありがとうございます)
今回、短い距離ながら、ひとつひとつ丹念に見ていくと
それぞれ味があって面白さを感じました。
いずれは全工程の標柱、制覇したいです。
水道路の標柱(2)
まずはコレ、正面部分が、波線2個の下に「海」の字。
帝国海軍マークが↓だそうで、そこからとったのでしょう。
戦争遺跡でもあるわけです。
次はコレ。
『水道部』。部活みたいです。
現在は横須賀水道局ですが、
今でも水道部という団体名称をとってる所もあるようです。
上面部分に横須賀の頭文字でしょうか、『Y』と彫られています。
大抵後ろは塀などの建築物にくっついてて見えないことが多いのですが
これは背面部も見れました。
そこには『横須賀』という文字が。
てっぺんが黄色いペンキなのは、当局が目印のために塗ったのか
ガキンチョが悪戯で塗ったのか、どちらなんでしょう。
そして『水道局』。
局なのか部なのかわかりにくい奴
字体を見比べればわかるかな?
真ん中のハート葉っぱがラブリー。
あとは埋まりまくってテッペンしか見えないもの
一度に三個集まってるのもありました。
ゴミの日だったのでゴミ出しされてます。
二個並んでて、しかも両方とも『横須賀』文字入りの
豪華な奴
道端のオブジェと化してる波線。
境いの目印。
一帯は藤沢市なのに、道路部分の地所は、
海軍から無償で貰いうけた、横須賀市水道局の
ものなんですね。
(もうちょっとつづきます)
水道路(すいどうみち)の謎(1)
妹のお友達のブログで、藤沢にある横須賀水道路のことを
知りました。
今まで知らずに通っていた身近な生活道路に、こんな由来が
あったなんて、興味深い。
あそこを「水道路」と呼ぶ習慣があるのはなんとなく
知ってました。
でも、きょうにいたるまでその意味を深く考えたことは
なかったです。
1912年(明治45年)から、旧横須賀帝国海軍は、
艦隊の水不足を解消するため、
水源である神奈川県愛甲町から横須賀までの
延々53kmにも及ぶ長い海軍水道を、10年かけて
先駆けて敷設しました。
水道路(すいどうみち)の大半が、最短距離の直線です。
ナスカの地上絵のように、異様にまっすぐに北西から南東へ、
藤沢市内を斜めに横切っているのが
地図からわかるかと思います(青色に塗った道)。
関係者以外は入れない、いすゞ自動車の工場内の水道路。
まるで滑走路のような、整備された広くてまっすぐな道は
巨木なポプラ(?)並木になっている。
工場の門が開いてると、中をチラっと見渡せるのだが
北海道大学のポプラ並木(250m)もぶっ飛ぶ雄大さ。
軽く1kmはありそう。
帝国海軍と関係の深かったいすゞが、昭和36年この地に工場を開所するも
水道管の上に建物を建てるわけにもいかず、
このような景観になったと思われます。
常時工場内のお掃除バイトを募集してるので
一度は潜りこんでみたいもの。
これらあまりにまっすぐな敷設ぶりを見るにつけ、
現在のような住民反対運動もなく、
当時憲兵の威圧する中で強制的に軍が土地を取り上げたことが伺われます。
一方で、元々昔からあった真っ直ぐな道に沿って、
水道路を敷設したのではないかという考えもあるようです。(詳細)
どちらにしろこのまっすぐな潔さは人の心を惹きつけます。
『鉄塔武蔵野線』ではありませんが、思わずどこまでも辿ってみたく
なる引力がある。場所によっては、海軍が目印として埋めた
80年前の標柱が、道の傍らに点々と置かれているのもかなりな魅力です。
今回はこの青く塗った道で目にした、(といっても全行程の7割、
真ん中赤紫部分は、道路拡張工事のせいかほとんど
見当たりませんでした)水道路である証拠の標柱の
バリエーションを紹介します。
地図のURL
(つづく)
